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清々しき断定

実は今朝はブログを2本書くつもりでいました。
一つはさっきぶっ飛んだ斉藤由貴の事。
書き直しをするかどうかも含め、そちらは明日以降に考えるとして
もう一つのネタについて書きます。

「香港ともっとも不似合いな言葉は節電である。」

1989年の香港について書かれた文章の中に出てきたフレーズです。読んだのは昨日。
私は香港に行ったことはないけど、確かにギラギラの電飾が夜通し煌煌と灯ってる印象があります。
朦朧としそうなほどに絢爛豪華な風景を写真やテレビで見たような気がする。
おそらく誰もが共感できる言い回しですが、こんな風に表現する人は珍しいんじゃないかな?

とにかく、このフレーズを見た私は妙に愉快な気分になり
「AとはBである」と言った決めつけ論調の清々しさをしばし楽しみました。
日本語というか日本人は語尾を濁しがちです。
はっきりと物事を断定することを遠慮してしまう民族性かなと思います。
同調圧力が強くて個人が強く主張することがはばかられる風土というか・・・
生まれた時から日本社会にどっぷり浸かって生きている在日韓国人の私も
精神的には、全くもって日本人だと思っているし、語尾を濁しがちです。

別に語尾を濁すのはいけない、とか、日本人はハッキリ物を言うべきだなどとは思っていません。
文化人類学的な詳しい事は知らないけど、島国で農耕が主生業のムラ社会として
歩んできた日本で人々が上手に生きていくためのスキルなのだろうと思います。
今年の流行語大賞に選ばれそうな勢いの「忖度」という言葉もいかにも日本的。
「そんな事、わざわざ言わなくったって分かりますよね?」的な・・・
で、実際にわざわざ言わなくったって、みんな分かりあってやってきたし、やっているのです。

もちろん機械じゃなくて人間ですから、同じ日本人だからって100%以心伝心できる訳じゃない。
誤解が生じることもある。「そんなつもりで言ったんじゃないのに・・」というのはよくあること。
なんで誤解が生じるのかというと、つまりはハッキリ言わないからなんでしょう。

「香港ともっとも不似合いな言葉は節電である。」と、これだけハッキリ言ったら誤解のしようがない。
もちろん、「節電」以外に、より「香港ともっとも不似合いな言葉」があるかもしれない。
そこは議論の余地が大いにある所だけど、ハッキリ言って、それはどうでもいいことです。
例えば、「香港ともっとも不似合いな言葉は人権である」なんて事をいうと
何かのっぴきならない不穏な感じがあるけど、「節電」である。しかも1989年の。
地球の内蔵するエネルギー源自体には限界があり、世界の人口が爆発的に増えて
それに合わせて、エネルギー消費も深刻な量に達しつつあって、省エネや代替エネルギーは
常に開発の現場において、切実で重要なテーマである現在としては
「不必要に煌煌と照らし続ける」事も呑気な話ではないのかもしれないけど
それでも「香港ともっとも不似合いな言葉は節電である。」には罪のない響きがあるように思う。

愉快になった私は、「日本ともっとも不似合いな言葉はなんだろう?」と考えてみました。
誰もが納得できて、罪がなくて、爽快なやつ・・
これは意外にというか当然というか、大変に難しい問題です。
日本人が香港を見て「節電する気、皆無じゃん!」って感じるのは外国人だからというのもあるはずで
日本人が「日本とはコレコレである」と決めつけるのは、知りすぎてて逆に難しい。
このところ増え続けている外国からの観光客に聞いた方が、適切な解が得られそうな気がします。
もしくは海外のいろんな国を見てきた日本人なら、日本の特徴を上手に表現できるかも。

私は海外旅行には全く興味がなく、韓国以外ではイギリスしか行ったことがない。
親しく付き合っている外国人のお友達もいません。
だから、日本を相対的に判断する材料が全くないのです。残念ながら。

そんな私がかなり熟考の末に思いついた「日本ともっとも不似合いな言葉」は「寛容」でした。
日本は寛容さがなくなってきて、何かにつけ目くじらを立てるようになった。。。と感じることが
少なくないのは事実。
でも「寛容」は誰もが納得するとも思えず、罪な感じがして、全く爽快ではない。
それに、世界基準で見れば日本は相当に寛容な社会という部類に入れてもおかしくないかもしれない。
本当に難しいテーマなのです。

価値観の多様化が認められ、あちこちから色んな文化や人が入ってきて
東京なんか行くと「多民族国家か?」という雰囲気すら感じられるようなご時世なので
「日本とはコレコレ」といった単純な決めつけは出来ないし、する必要もない。
そうはいっても、「日本とはコレコレである」はまだ簡単だと思う。
難しいのは「日本ともっとも不似合いな何か」です。
「明るい未来」とか、どうかな? やっぱり爽快さは無いな。。

最後のおまけとして・・・
香港の絢爛な夜の灯りについての描写を読んでいて、私がふと思い出したことがあります。
ソウルで日本語を教えていた時代に教え子の一人が言った言葉。
「先生、私はウリナラ(我が国)のネオンが本当に嫌なんです。品がなくて恥ずかしい」と。
確かに夜の繁華街(その時は永登浦のカムジャタンストリートを歩いていたのですが)は
原色系のネオンサインがあちこちでギラギラと主張をしていましたが
若い韓国人の女の子はそれを「恥ずかしい」と感じるのか。。と妙に感銘を受けました。
「恥ずかしい」の詳細は分からないけど、「外国の人が見たら下品だと思うんじゃないか」という
愛国心のようなものを当時の私は感じ取っていました。

愛国心といえば・・・というと、長くなるので、いずれまた。。

by kokuzo89 | 2017-09-23 08:34 | 徒然